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記事代行.com >  ブログSEO対策実践記 > 検索される側に回るためのひらめき- 検索エンジン最適化 -

SEO対策なんて言葉すら知らなかった << 前回の記事はこちら

検索される側に回るためのひらめき- 検索エンジン最適化 -

検索BOXに毎回毎回知りたい言葉を入力する度に、その情報を示したwebサイトが現れる。
初めは、何の疑問も感じず自分の欲求を満たしていたんですが、
そんな日々が続いた時、あることに気付きました。

「なぜ、ここに言葉を入れると、知りたい情報が掲載されたサイトが表示されるのだろう」

 「 アクセスアップ 」この言葉がすべてを導いた

 それまでは、何の驚きも不思議もなかった検索BOXの働きに疑問を感じ始めたら、HPの作り方ではなく、どうすれば多くの人から見てもらえるのかということに意識が向くようになった。そう、「 アクセスアップ 」という言葉にやっとたどり着いた訳なんです。

ただ、はじめからアクセスアップという言葉にたどり着いた訳ではありません。
アクセス→アクセス解析→アクセスアップと言った順でした。

その中に、SEOという文字があったかどうかは今は覚えていません。
検索エンジン最適化というニュアンスの言葉は目にしていたでしょう。

「アクセスアップ HPの作り方」

こんなキーワードに意識を傾けながら検索を使いそして教則本を見ていると、同じHP作成の本でも目のつく文字が変わってくるのは驚きです。

見出しタグ、メタ情報、強調、検索エンジンロボット、アルゴリズム、検索エンジンサイトなどなど。

検索BOXに打ち込んだキーワードは、HPのどの部分を見て、どこを検索エンジンロボットは調査し、ページの内容を理解するのか

そんなことが、おぼろげながら見えてきてインターネット上に記載されていた情報をたよりにページを修正し新しいページも作りました。
それはもう、レイアウトなんて今思い返すだけでも恥ずかしい限りです。

しかし、アクセスの伸びとは裏腹に、次第にホームページをいじる時間がなくなってしまっていきました。

それは、とても複雑な想いでした。

 挫折を味わっても、何かに本気になれば、本来の道も開きだす。

 HPを作っては、休みの日には検索を繰り返しているように、ここまでの記事では感じてしまうでしょうが、記事の題材を作るためにも、本業のバレー選手としての活動は怠るどころか、入団当時の挫折とプレイスタイル変更の困難をはねのけるために必死でした。

チームがオフのときには自主合宿を組み、そこでパートナーを引き連れ撮影し、記事のネタを書き溜めました。

そんな甲斐もあって、本業のバレーも充実。
大きな力の差と自分がどれだけ天狗になっていたのかを痛感させられた入社1年目から新たな道を探すための2年間は、結果として本来の夢をつなぐための期間となり、その後堺ブレイザーズを27歳で引退するまで、学生時代はエースアタッカーだった私は、オールラウンダー、レシーブ専門のリベロとポジションを変更しながら、チームのデータバレーを支える戦略アナリストとしての立ち位置を確立することができました。

結局、選手時代HP制作とアクセスアップ施策に取り組んだのは6ヶ月間だけ。それからは引退するシーズンが終わるまではHPの更新する時間もなく、次第にインターネットの世界から遠ざかっていきました。

27歳春、引退する間際。
個人でHPを制作運営をしていたことを知っていたスタッフから声をかけられ、チーム公式HP制作の手伝いをすることに。

引退する最後の年はアナリスト兼選手という立場で一年間チームに貢献。その後退団し籍のあった会社に退くこととなり、倉庫管理の仕事で国内配送や輸出入の管理業務を任されました。

右も左も分からない物流の管理業務を遂行する上に、もう選手ではなくなったのでHPを更新するネタも、そして結局はバレーで一生、生活することができなかった挫折感からHPは閉鎖。

日常業務を遂行するためだけにインターネットに触れるという日々が続きました。

 引退。転職。挫折、再び、インターネットの世界へ

引退後は、空虚な日々が続きました。
一生懸命仕事に打ち込んでいるときは良いのですが、休日になると運動不足でストレスは溜まり、それをうまく発散できていなかったのでしょうか。打ち込めるものがない虚しさから、とても自己中心的な生活になりバーンアウト状態。
むやみやたらに刺激を求めて営業職へ転職。

何も知らないまま、訪問販売の面接を受け転職するも鳴かず飛ばずの営業成績。
完全歩合制ではなかったものの、基本給では営業職に転職した意味もなく、なんとか営業スキルを上げるために、その情報を探しました。

もちろん、インターネットで「営業 成績アップ」といったキーワードで検索をしたんです。

そして、出会った1冊の本。

神田昌典「売り込まなくても売れる」

それはとても衝撃的な本でした。
そして、この書籍の中に入っていたハガキに、あの伝説の名著「非常識な成功法」そして「あなたも今までの10倍本が速く読める」というほんの紹介があり、私はみるみる内に神田昌典ワールドへと引き込まれていきました。

見よう見マネで、営業トークを実践し営業成績は改善。
販社全体の成績が落ちかける2年目に販社長が支店に持ち込み熟読を強制したのがこの「売り込まなくても売れる」でした。

私はその約一年前にこの書籍を拝読し支店グループ内でもトップクラスの営業マンになることができました。
結婚もし、神田氏の書籍をむさぼるように読む中、フォトリーディングを独学で実践。

学生時代からメモ帳や大学ノートを使って思考や学びをまとめていた習慣の上に、マインドマップという手法を取り入れ、更に読書スピードは上がり、更なる欲が出てきたおりに神田氏の顧客獲得実践会というマーケティング実践サークルの存在を知りました。

しかし、私はいち営業マン。
結婚もしたてでしたし、訪問販売の会社です。
そんなマーケティングなんぞの訳の分からないセミナーに参加する「時間があるのなら一件でも多く訪問すれば嫌でも売れる」と言われるのは関の山でしたので、入会は諦めました。

 その代わり、実践会メンバーの出す情報にはアンテナを広げ暇さえあればブックカバーをしては、営業先への移動中でも読書していました。
訪問販売の営業マンが読書するものですから、同僚にはとても希有な目で見られていました。
そこで、手にしたのがこの書籍です。

もともと学生時代に2度手術し、膝も足首もぼろぼろの状態。バレーボール選手引退時には左右の肩も壊しており、無理もたたって長時間の営業活動(歩くこと)で膝がきしみ、腰痛を悪化。寒い冬場は現場に出ても痛みから、まともな営業ができない時などもあって、近々営業もできなくなるだろうと不安を覚え、インターネットでの稼ぎ方を学ぶようになりました。

友人の紹介で健康食品の販売を始め、実に6年ぶりにホームページを作成。ブログも始めネット集客を始めました。

当然、ショッピングカートやクレジット決済の知識などなく、問い合わせを頂きメールで対応。可能な限り実際にお会いし商品をお渡しするという方法で副業をはじめました。

そして2003年には、アフィリエイトという言葉を知り、自分の商品を仕入れなくてもネットでできるビジネスという魅力に引き込まれていったのです。

続きはこちら> アフィリエイトとの出会い。SEO対策はスムーズに行くも…